大阪地方裁判所 昭和46年(レ)195号 判決 1976年3月29日
原告・被控訴人
北畠光雄
右訴訟代理人
深田和之
被告・控訴人
渡辺マサエ
右訴訟代理人
真柄政一
主文
1 原判決を取り消す。
2 原告の執行文付与の訴に基く主位的請求を棄却する。
3 原告が当審において予備的に追加した請求に関する異議の訴に基き、被告から原告に対する大阪簡易裁判所昭和三〇年(ユ)第九八号事件の調停調書に基く別紙目録記載第二(3)の建物の収去およびその敷地の明渡の強制執行は、これを許さない。
4 訴訟の総費用は、これを三分し、その二を原告に、その一を被告に負担させる。
5 第三項掲記の強制執行は、なおこれを停止することを命ずる。
6 前項に限りかりに執行することがきる。
事実
第一 左記の各事実は、いずれも当事者間に争を見なかつた。
(一) 被告を申立人、訴外椋本浅治良を相手方とする大阪簡易裁判所昭和三〇年(ユ)第九八号延滞地代請求調停事件について、同年一〇月三日、左記条項の調停が成立し、調書に記載された。
(1) 椋本浅治良は、被告に対し、被告から賃借中の別紙目録記載の宅地(以下「本件土地」という。)の昭和三〇年九月末日現在の延滞地代金六二、七六〇円の支払義務があることを認め、これを同年一一月八日被告代理人小松辰郎方に持参して支払う。
(2) 被告は、椋本浅治良に対し、本件土地を期間・昭和一八年八月一八日から向う二〇年間、地代・昭和三〇年一〇月一日以降月額金二、五〇〇円、毎月末日持参払の約定で賃貸する。
(3) 椋本浅治良が前項所定の地代の支払を六箇月分以上遅滞したときは、被告において右賃貸借契約を解除し、本件土地上の別紙目録記載の各建物の収去と賃貸土地の明渡を求めることができる。椋本浅治良は、この請求があつたときは、本件土地から右各建物を収去の上、同地を被告に明渡さなければならない。
(二) ところで、本件土地は、被告の所有であり、同地上の前記各建物は、かねて椋本浅治良の所有に属していたところ、椋本は、昭和三〇年一一月一日西野義一に対してそのうち別紙目録記載第二(3)の建物(以下「本件建物」という。)を譲り渡したが、その後さらに西野義一から原告に同建物が譲り渡されたところ、西野義一は、昭和三二年九月一四日死亡し、井上初子、井上竜夫、西野好子、西野政子、西野弘祐および西野カズエの六名が共同相続人となり、昭和三五年三月三〇日、本件建物につき右相続人らから原告に昭和三〇年一二月一日売買を原因とする所有権移転登記がなされ、原告は、現に同建物とその敷地部分を占有している。
(三) しかるところ、被告は、椋本が昭和三一年一月分から同年六分までの地代の支払を延滞したから、同年七月四日、右賃貸借を解除したということで、原告に対する強制執行のため前示調停調書にかかる承継執行文の付与を申請し、大阪簡易裁判所裁判所書記官日置泰二は、昭和四二年四月一二日、右調停調書につき、
前記の正本は、裁判官の命令により左記承継人北畠光雄(原告)に付し別紙建物の表示二(3)(本件建物)の部分の土地明渡強制執行のため申立人渡辺マサエ(被告)にこれを付与する。
記
相手方椋本浅治良の承継人西野義一の承継人井上初子、井上竜夫、西野好子、西野政子、西野弘祐、西野カズエの承継人北畠光雄(原告)
と記載した承継執行文を付与した。<以下略>
理由
一本件における当事者間に争のない事実は、事実の項の第一に摘示のとおりである。
本件の争点は、多岐にわたるが、これを要約して論理的順序に従い並べると、
(1) 原告にかかる執行債務承継の成否(執行文付与に対する異議事由その一)
(2) 執行文付与の条件たる賃貸借契約解除の成否(同その二)
(3) 執行債権の時効消滅の成否(同その三)
(4) 原告の借地権発生の有無(請求異議の事由その一)
(5) 執行債権の時効消滅の成否(同その二)
の五点に帰着するので、以下順次これに対して判断を加える。
二原告にかかる執行債務承継の成否(執行文付与に対する異議事由その一)について。
(一) 標記の点に関する判断にあたつては、上告審判決の説示を無視することができない。
第一次控訴審判決は、原告が本件調停調書に表示されている執行債務の承継人でないと判断したのであるが、右の点の説示の要旨は、次のとおりである。
「本件調停調書には、執行債権者たる被告が本件土地の所有者である旨の記載を欠き、同調書に表示の執行債権は、被告、椋本浅治良間の土地賃貸借契約解除に伴う原状回復義務の履行を求めるいわゆる債権的請求権としての建物収去、土地明渡請求権にほかならないと解されるところ、原告は、本件建物を買い受け、現にその敷地を占有しているけれども、被告との間で賃貸借契約関係に立つたものと認められないから、右執行債権に対応するところの給付義務の承継人には該当しない。」
しかるに、上告審判決は、右の判断を不当として第一次控訴審判決を破棄したものであつて、その破棄理由において大要次のとおり説示したのである。
「一般に、債務名義の有する執行力の性格は、訴訟物たる私権が本来実体法関係でもつ効力と同視し得るものでなく、私権の即時強制実現の必要のため、相対関係から絶対関係への発展、転化の契機を有し、債務名義においてすでにその執行目的物が特定された場合においては、その後右目的物が債務者から離脱し、第三者の手に帰したときでも、なおその第三者に対して執行力の追及が強制的に実現されるのであつて、第三者がこれを免れ得るのは、金銭や動産等につき原始的権利取得をする場合に限られるのである。それ故、給付判決たる債務名義においても、承継の範囲が訴訟物たる私権の実体法的効力の性格そのままに、物権的効力と債権的効力の如何によつて区別されるとする原判決の見解には、甚だ疑なきを得ない。ことに、調停手続は、訴訟物の提示、審判を目的とする手続ではなく、その申立は、いわゆる「紛争の実情」を記載することによつてなされ、互譲の方法によつて一種の法律的妥結に達し、その内容が、和解同様一種の認証によつて調停調書となるものであつて、請求権の性質はもちろん、その存否すら裁判所によつて確認されることがなく、調停条項にもこの点の約定を欠く事例が多いのである。それ故、少くとも調停調書については、その効力判定のために訴訟物的基準を用いるのをおよそ不適当する特有の性質があるというべく、本件調停調書中に債権者たる被告が本件土地の所有者であるか否かの記載のないことをもつて調停調書の効力を判定するのは、不当な基準による判断というべきである。」
それ故、上告裁判所の右判断は、民事訴訟法第四〇七条第二項により、差戻を受けた当裁判所を覊束するものといわなければならない。
(二) 次に、上告裁判所の右判示にかかる基準に従い、本件調停調書に表示されている椋本浅治良の被告に対する建物収去、土地明渡義務を原告がなんらかの原因で承継したことを肯認し得るにしても、これに基き原告に対する強制執行のため右調書に付与した本件の承継執行文が是認されるためには、当然の理として、右に承継が前記の調停が成立した後になされたものであることを必要とし、かつ、これをもつて十分といわなければならない。そして、右調停が昭和三〇年一〇月三日に成立したことは、当事者間に争のないところである。
しかるに、右の点に関連し、上告審判決には大要次のとおりの説示がなされている。
「原判決(第一次控訴審判決)によれば、本件調停調書の執行の発生時点として本件土地に関する賃貸借契約が債権者たる被告によつて解除された昭和三一年七月四日が挙げられるに対し、原告の執行力承継原因として原判決の認定する事実は、右契約解除に先だつ昭和三〇年一一月二日、債務者たる椋本浅治良より本件建物を譲り受けた西野義一が、原告に対し右建物を売り渡し、これと共に敷地賃借権をも譲渡する契約をした同年一二月一日の事実がこれに該当するものとされるのである。ところが、原判決は、他面において、原告が本件建物の所有権移転登記を受けた日を前記契約解除後の昭和三五年三月三〇日と確定しているのであつて、右は、原因たる売買契約の日より四年以上を経過した時期であるから、右売買契約に関する条件、ことに、代金支払方法およびこれと所有権移転登記との履行の関係の約定の如何によつては、契約条項上、または当事者の意思解釈上、所有権移転の時期が、必らずしも売買契約の成立と同時と解し得ない場合もあることを保し難いところ、原審は、以上の諸点につき格別の釈明、審理、判断を経た形跡がなく、もとより判文上もこれを確定した点が見られないのである。」
右の説示によれば、上告裁判所は、本件調停調書の執行力発生の時点が、同調書に表示されている本件土地にかかる被告、椋本浅治良間の賃貸借契約の解除の時であつて、それ以前の承継人に対しては右調書の執行力が及ばないことを当然の前提として立論しているかのようである。しかしながら、第一次控訴審判決は、これを仔細に検討するに、前述のとおり本件調停調書に表示の執行債権が、賃貸借解除に伴う原状回復を目的とした債権的請求権にほかならぬことをもつぱらの根拠とし、しかるが故に原告の執行債務承継が当然に否定されねばならないと説示しているのであつて、右調停調書の執行力がいつ発生したのであるか、また、同調書の執行がいかなる時点以降の承継人に及ぶものであるかについては、なんらの判断も下していないことが明らかである。同判決中の「本件調停によつて椋本浅治良が被告に対して負担する本件建物収去・本件敷地明渡義務は、被告が椋本浅治良との間の本件土地賃貸借契約を解除することにより発生する借主の原状回復義務であつて」という文言も、執行債権が契約解除という条件の成就(民事訴訟法第五一八条第二項参照)により具体的に実現可能の段階に達するという当然の事理を表現したものにすぎない。ただ、第一次控訴裁判所は、前示のとおり、債務名義の執行力の内容、範囲が執行債権の実体法上の性質に依存するとなす見地に立つて、原告による執行債務承継が論理必然的に否定されると判示している関係上、原告が本件建物の所有権を取得した時期に関する審理および判断において疎漏の点があることは、たしかに上告審判決の指摘しているとおりであり、これが審理不尽の違法であるとして第一次控訴審判決を破棄する事由となつているのである。かような次第で、本件調停調書の執行力発生の時点、ならびに、同調書の執行力がいかなる時点以降の承継人に及ぶものであるかに関する上告裁判所の判断は、決して第一次控訴審判決の破棄事由を構成し、差戻を受けた当裁判所を覊束するものとは解しがたく、当裁判所は、右の点につき独自の見地に立つて判断をなすことを得るものである。そして、この点に関する当裁判所の見解は、さきに述べたとおりであつてこれ以外ではあり得ない。本件調停調書の執行力が同調書に表示された賃貸借契約の解除時点で発生するとなす見解は、債務名義の執行力の発生と当該執行債権が履行期に到達し、またはこれに付された条件が成就して具体的に実現可能の段階に至ることとが、本来別個の観念であることを忘れたものであつて、これが誤であることは、将来の給付を命じた判決について、その債権の履行期未到来の時期にあつても、原告またはその口頭弁論終結後の承継人のため被告またはその口頭弁論終結後の承継人に対し執行文を付与し得ることを想定しただけでも明らかであろう。
(三) しかるところ、本件建物は、かねて椋本浅治良の所有に属し、同人から被告に対し同建物を収去してその敷地を明け渡す義務が本件調停調書に表示されているのであるが、右建物は、本件調停が成立した後の昭和三〇年一一月一日に右債務者椋本浅治良から西野義一に、さらにその後同人から原告に譲渡されたところ、西野義一が昭和三二年九月一四日死亡し、井上初子、井上竜夫、西野好子、西野政子、西野弘祐および西野カズエの六名が共同相続人となり、昭和三五年三月三〇日、本件建物につき右相続人らから原告に昭和三〇年一二月一日売買を原因とする所有権移転登記がなされ、原告が現に同建物とその敷地部分を占有していることは、当事者間に争がない。そうすると、はたして原告が本件建物の所有権を取得したのがいつであるのかについては、上告審判決の指摘するとおり疑問が残るけれども いずれにせよ、原告が、本件調停が成立した後 同調書に表示の本件建物収去、敷地明渡義務者である椋本浅治良から同建物を譲り受けた西野義一またはその包括承継人らからさららに同建物の所有権を承継したものであることは、これを否定することができないわけであり 原告が右建物とその敷地部分を現に占有していることも、このように同建物の所有権を取得したことに基くものといわなければならない。原告は、本件調停の成立前から同建物とその敷地を椋本浅治良を貸主とする同建物の賃借権に基き占有していたと主張するが、かりにそうであるとしても、右賃借権は、同建物が椋本から西野義一またはその相続人らを経て原告の所有に帰した時点において混合により消滅したものと推認するのが相当であるから、その後における原告の同建物とその敷地に対する占有が前記のとおりもつぱら同建物の所有権に基くものと認めるには、なんらの障害も見出すことができない。
してみれば、原告は、本件調停調書に表示されている本件建物の敷地の明渡義務を承継したものにほかならず、右を否定するところの原告異議事由は、採用に値しないものである。
三執行文付与の条件たる賃貸借契約解除の成否(執行文付与に対する異議事由その二)について。
本件調停調書において、椋本浅治良が被告に対する昭和三〇年一〇月一日以降月額金二、五〇〇円の地代の支払を六箇月分以上遅滞したときは、被告から賃貸借を解除して本件土地上の本件建物を含む各建物の収去と同地の明渡を請求することができ、椋本においてこの請求を受けた場合被告に対し右建物収去と土地明渡をしなければならない旨記載されていることは、当事者間に争がないところ、<証拠>によれば、被告から椋本に対し、同人が昭和三一年一月分から同年六月分までの地代を支払わなかつたということで、右期間経過後遅滞なく賃貸借の解除をなしたことが明らかであり、右期間内の地代が賃貸借解除前に支払われた事実は、その立証が存しない。
しかるところ、原告は、本件調停調書に表示の建物収去、土地明渡義務が、椋本から西野義一、西野義一ないしその相続人らから原告に順次承継されたとするならば、右賃貸借における賃借人としての地位そのものが、椋本から西野、西野ないしその相続人らから原告に順次移転したものと認めなければならないから、被告から西野ないしその相続人らまたは原告に対する賃貸借解除の意思を表示したことの証明がない以上、西野以下の承継人らに対する強制執行のための執行文付与は、許されぬはずであると主張する。そして、本件建物が、かねて椋本浅治良の所有に属していたところ、昭和三〇年一一月一日椋本から西野義一に、その後さらに同人から原告に譲り渡されたことは、当事者間に争がないから、少くとも右関係人らの内部関係においては、同建物にかかる敷地の賃借権が順次譲渡されたと認べき余地がたしかにあるものといわなければならない。しかしながら、右賃借権の譲渡につき貸主たる被告の承諾があつた事実については、これを認むべき的確な証拠がない。原審および当審における証人北畠うた、ならびに、原審における原告の各供述中には右事実の一部にそう個所があるけれども、いずれも甚だ曖昧であつて、この点の確証となすを得ないものである。それ故、西野義一および原告は、本件建物の敷地につき被告に対抗し得る賃借権を承継取得したものということができぬ筋合であり、右と反対の前提に立脚する原告の異議事由がないことに帰着する。
四執行債権の時効消滅の成否(執行文付与に対する異議事由その三)について。
原告は、原審以来本件調停調書に表示の執行債権が時効により消滅したことをもつて同調書にかかる執行文付与に対する異議事由に掲げており、原審裁判所も、これを是認して原告の異議を認容しているのである。しかしながら、元来執行文与に対する異議の訴は民事調停法第一六条、民事訴訟法第五六〇条によつて調停調書についても準用される同法第五四六条の文言から明らかなとおり、債務者が執行文付与の際証明があつたと認められた条件履行または承継を争うための救済方法であつて、執行債権の時効消滅のごときは、この種の訴において主張し得べき異議事由に属しない。右は、執行文付与の訴とは目的、性質を異にし、訴訟物を共通になし得ぬ同法第五四五条の請求に関する異議の訴において主張し得る異議事由にすぎぬと解すべきである(最高裁判所昭和四三年二月二〇日判決・民集二二巻二号二三六頁以下参照)。原告が執行文付与に対する異議事由として最後に主張するところも、これを採用することができない。
五原告の借地権発生の主張(請求異議の事由その一)について。
標記の点に関し、原告が本件建物を譲り受けることにより本件調停調書に表示されている椋本浅治良の借地権の譲受人となつたことを肯認し得るとしても、右譲受につき貸主たる被告の承諾がないから、これをもつて被告に対抗し得べき限りでないことは、前判示のとおりであり、また、右建物買受の際に敷地を転借したものとみても、右につき被告の承諾の事実の立証がなく、これをもつて被告に対抗し得ぬことは、前同様である。原告は、右建物譲受後あらたに被告との間にその敷地にかかる賃貸借契約が成立したとも主張するが、右主張事実の立証も存しない。第二次控訴審における証人北畠うたの証言、ならびに、これにより成立を認め得る甲第五号証の一ないし四は右の点の確証となすに足りないものである。原告の借地権発生の主張は、失当というべきである。
六執行債権の時効消滅の成否(請求異議の事由その二)について。
(一) 本件調停調書に表示の執行債権たる建物収去、土地明渡請求権が時効で消滅したかどうかを考えるにあたつては、まず右執行債権の実体法上の性質をみきわめる必要がある。原告が主張するように、これが賃貸借契約の解除に伴う原状回復を求める債権的請求権にほかならないとすれば、消滅時効にかかるであろうが、被告が主張するように、土地所有権に基く物権的請求権であれば、本来時効にかからぬものといわなければならない。そして、一般に債務名義に表示の執行債権の実体法上の性質が何であるかは、当該債務名義の記載自体から判断すべきであり、その記載だけから執行債権の性質が理解し得る場合において、さらに他の資料をこの点に関する認定の用に供することは、許されないのである。右については、債務名義が調停調書の場合にあつても別異に解すべきいわれはない。調停手続は、民事に関して紛争を生じたとき、当事者の互譲により条理にかない実情に即した解決を図ることを目的とするものであつて(民事調停法第一条)、その申にも特に訴の提起の場合のように請求権を特定して掲げることを必要とせず、当事者間の妥結内容は、必らずしも事案に対する法律の厳格な適用の結果と一致するを要しないものであるが、一旦妥結点に到達して調停が成立した限り、その内容は、当事者の互譲により成立した契約そのものであるから、その実体法上の性質が無色のものではあり得ない。調停機関は、後日の紛争を避けるため、当事者の意思を十分に確認し、契約内容、すなわち調停条項をその実体法上の性質を明確にして調書に記載させる職責を有するものである。このことは、調停に既判力を認める見地にあつては、当然であるが、既判力否定説の前提に立つても、調停条項の実体法上の性質を調書上明示することは、執行力の及ぶ主観的範囲、執行債権に附着する優先権の有無、本件において問題となつているような執行債権が時効にかかるものかどうか、民事調停法第二〇条の調停にあつては訴訟終了の効果の成否などについて、後日に紛争が生ずることを未然に防止するために必要不可欠といわなければならない。従来の調停実務において、こうした点の配慮を怠つた放慢な取扱例を散見することは、否めないけれども、もとよりこれは、右の説示の妨げとならないものである。かような次第で、執行債権の実体法上の性質が当該調停調書の記載から一定のものとして認識することが可能であるならば、調停機関がさきに述べた職責を全うしたのもとしてそのとおりに認定すべきものであり、これを別様に解することは、許されない。本件の上告審判決の説示は、明らかに上記の当裁判所の判示に符合しないものであるが、もとより原告が差戻後の当審において追加した請求異議の訴に対する当裁判所の判断を覊束するものでない。
しかるところ、成立につき争のない甲第一号証によれば、本件調停調書に表示の執行債権たる被告の椋本浅治良に対する建物収去、土地明渡請求権が、右両名間の賃貸借契約が解除された場合の原状回復を目的とする債権的請求権であることは、同調書の記載から明白に認識し得るけれども、同調書には、被告において本件土地につき所有権その他の物権を有する旨のなんらの記載も存しないことが明らかであるから、右執行債権が物権的請求権であると解すべき余地はない。右執行債権は、消滅時効にかかるものというべきである。
(二) 次に、形成権の行使たる契約解除に基く原状回復求権の消滅時効の起算点が、解除権の行使をなし得るに至つた時かそれとも現実に解除をなした時かについては、従来判例、学説上争の存するところであるが、本件の事案においては、昭和三一年六月三〇日の満了をもつて、椋本浅治良が六箇月分の支払を延滞したことになり、被告から賃貸借を解除し得るに至り、その後遅滞なく当該解除権を行使したことは、前述のとおりであるから、右のいずれの見地をとるにせよ、時効の成否につき結論上の差異を生ずべき事由はない。
しかるところ、成立につき争のない乙第一号証によれば、被告の申立に基き、椋本の承継人西野義一を債務者として、大阪簡易裁判所が昭和三二年七月二七日付をもつて本件建物収去の代替執行の授権決定をなしたことが明らかであり、かつ、その前提をなす授権決定の申立が昭和三一年中に同裁判所に対してなされたことは、当事者間に争がないから、民法第一五四条により、右執行申立の時に(ドイツ民法第二〇九条第二項第五号、第二一六条、大審院昭和一三年六月二七日判決・民集三巻一三二四頁以下各参照)本件執行債権の消滅時効が中断したものと認めなければならない。被告は、さらに時効中断の事由として、(イ)右授権決定に更正決定がなされたことを挙げるが、もとより独自の見解であつて、採用に値せず、(ロ)右代替執行の申立に対し西野が異議を申し述べる手続をとらなかつたことが、建物収去義務の承認であるというが、そのようなことだけで債務の承認があつたと認めることは困難であるといわねばならず、(ハ)右執行申立に先だつ執行文付与の申請が裁判上の請求にあたるというが、そのように解すべきいわれはなく、(ニ)前示授権決定に基き現実に建物収去の実行をまさになさんとして中止した事実があるともいうが、右が執行着手行為にあたる所以は、理解するを得ない。
ところで、かように右授権決定の申立の時に中断した本件建物収去請求権の消滅時効も、民法第一五七条一項により、その中断の事由の終了した時からさらにその進行を始めるものであるが、右中断事由の終了時が何時であるかは、問題である。従来の判例、通説は、主として金銭債権についての執行の場合を想定しているもののようであるが、当該執行手続の終る時をもつて中断事由の終了時と解している。しかし、右の見解の当否は、金銭債権についての執行の場合にあつても疑問がないわけでなく(ドイツでは、執行行為により中断した時効は、即時に再度進行すると解するのが判例、通説になつている。)、ことに、これを本件の事案のような代替執行の手続の場合にそのまま適用し、裁判所の授権決定がなされた後でも第三者による代替執行の内容の具体的実現まで中断の効力が継続するにおいては、その不合理は、極めて明白といわねばならない。むしろ、授権決定の申立により中断した時効は、即再度進行するか、少くとも右申立に基きなされた授権決定が告知により効力を生じた時点から再度進行するものと解するのが相当であろう。そうすると、本件の事案において大阪簡易裁判所が被告の申立に基き本件建物収去の授権決定を昭和三二年七月二七日付をもつてなしたことは、前述のとおりであるから、反証のない限りその後ほどなく右授権決定が告知により効力を生じたものと推認すべきであり、おそくともその後一〇年の経過により、本件の執行債権は、時効により消滅したものといわねばならない。
原告の請求異議の事由としての執行債権時効消滅お主張は、理由があるものである。
七してみれば、原告の執行文付与の訴に基く原審以来の主位的請求は、理由がなく、これを認容した原判決は、不当であるから、民事訴訟法第三八六条に従いこれを取り消した上、右請求を棄却し、原告が当審において追加した請求に関する異議の訴に基く予備的請求は、理由があるから、これを認容して強制執行の不許を宣言することとし、なお、訴訟の総費用の負担につき同法第九六条、第九二条本文、強制執行停止の仮の処分とこれに関する仮執行の宣言につき民事調停法第一六条、民事訴訟法第五六〇条、第五四八条第一項、第二項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(戸根住夫 松島和成 朴木俊彦)
目録<略>